東京地方裁判所 平成9年(ワ)25559号 判決 1998年9月29日
甲事件原告
甲山A夫
乙川B子
丙谷C美
右三名訴訟代理人弁護士
小堀樹
村田裕
加藤一郎
室賀晃
乙事件原告・甲事件被告補助参加人
甲山D雄
丁沢E代
丁沢F郎
右三名右訴訟代理人弁護士
橋本二三夫
甲・乙両事件被告
株式会社富士銀行
右代表者代表取締役
戊野G介
右訴訟代理人弁護士
海老原元彦
廣田寿徳
竹内洋
馬瀬隆之
山田忠
主文
一 甲事件原告らの請求をいずれも棄却する。
二 乙事件被告は、乙事件原告甲山D雄に対し金一五〇〇万円、同丁沢E代に対し金一二〇〇万円、同丁沢F郎に対し金三〇〇万円をそれぞれ支払え。
三 訴訟費用は、甲事件について生じたものは甲事件原告らの負担とし、乙事件について生じたものは、乙事件被告の負担とする。
四 この判決主文第二項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
一 申立て
1 甲事件原告ら
(一) 甲事件被告は、甲事件原告甲山A夫、同乙川B子及び同丙谷C美に対し、それぞれ金一〇〇八万二四一一円及びこれに対する平成九年一二月五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(二) 仮執行の宣言
2 乙事件原告ら
(一) 乙事件被告は、乙事件原告甲山D雄に対し金一五〇〇万円、同丁沢E代に対し金一二〇〇万円、同丁沢F郎に対し金三〇〇万円をそれぞれ支払え。
(二) 仮執行の宣言
3 甲・乙事件被告(以下、単に「被告」という。)
請求棄却
二 事案の概要
1 本件は、両事件の原告ら兄弟姉妹の母である亡甲山H江が被告銀行に預けた預金の帰属が争われている事件である。H江は、預金の処分に関し公正証書遺言を遺している。
甲事件原告らは、右遺言に記載された預金は、本件で問題とされている預金を指すものではないとして、その法定相続分に基づく支払を求めるが、乙事件原告らは、遺言を合理的に解釈すれば、右遺言に記載された預金は本件の預金を指すとして、甲事件被告に補助参加するとともに、右遺言に基づいて取得したとする金員の支払を求めている。
本件の争点は、右当事者の主張の当否、すなわち、右遺言が本件で問題とされている預金を対象としてされたものと解釈できるかという問題である。
2 基本的事実関係(証拠の摘示のない事実は争いのない事実である。)
(一) 甲・乙両事件の原告ら関係者の親族関係等は、別紙相続関係説明図≪省略≫記載のとおりであり、甲事件原告乙川B子は甲山H江の長女、乙川I作はB子の夫、同甲山A夫はH江の長男、同丙谷C美は三女、乙事件原告甲山D雄は二男、同丁沢E代は二女、同丁沢F郎はE代の夫である。
(二) H江は、平成七年一〇月一五日に死亡したが、右時点で、被告銀行(町田支店扱い)との間で、次の内容の預金契約を締結していた。
(1) 定期預金(口座番号<省略>、以下「本件預金一」という。)
金額五〇〇〇万円
満期平成八年七月一八日
(2) 定期預金(口座番号<省略>、以下「本件預金二」という。)
金額五〇〇万円
満期平成一二年七月一四日
(3) 普通預金(口座番号<省略>、富士総合口座通帳に記入されている(≪証拠省略≫)。
金額 二一九万〇九八一円
(三) 本件預金一の平成九年一〇月二七日における税引き後の利息額は、四一万二〇五六円である(≪証拠省略≫)。
(四) 甲事件原告乙川B子は、平成四年三月三一日、奈良家庭裁判所から、甲山J平及び甲山H江の相続財産に対する遺留分を放棄することの許可を受け、その後、甲山J平が同年五月四日に死亡したため、同年六月一九日、奈良家庭裁判所に甲山J平の相続につき相続放棄をした(≪証拠省略≫)。
(五) 乙川I作(甲事件原告乙川B子の夫)とH江は、平成四年六月二二日、かねて紛争中の建物持分権更正登記手続等請求事件(平成三年(ネ)第二四八二号)について、大阪高等裁判所で裁判上の和解をし(以下「本件和解」という。)、H江は、堺市高倉台所在の建物についてのH江の共有持分三分の一を一一〇〇万円で乙川I作に売り渡し、同人に対して共有持分移転登記手続をすること、これに関連して、乙川B子は、奈良家庭裁判所の許可を得て、H江の相続財産に対する遺留分を放棄したこと、甲山J平(父)の相続につき相続放棄をしたことを確認する等の内容の合意をした(≪証拠省略≫)。
(六) H江は、平成四年八月二五日、大阪法務局所属公証人己原K吉に委嘱して、要旨次のとおりの公正証書遺言(以下「本件遺言」という。)を作成した(証人として弁護士庚崎L夫など立会)。
「遺言者(H江)は、遺言者の有する富士銀行(被告)町田支店の『普通預金』の金五四〇〇万円から、甲山A夫、甲山D雄、丁沢E代及び丙谷C美の四名にそれぞれ一二〇〇万円を相続させ、丁沢F郎に三〇〇万円を遺贈する。甲山D雄を祖先の祭祀主宰者に指定し、同人に対し、前記『普通預金』から三〇〇万円を加算して相続させる。本遺言の執行者として、弁護士庚崎L夫を指定する。」
(七) 庚崎弁護士は、平成八年六月一八日付の内容証明郵便で、本件遺言の執行者として、甲乙事件原告らH江の法定相続人に対し、本件遺言の金銭取得部分は執行の対象が存在しないため、執行不能となった旨通知した。その理由は、遺言者の有する富士銀行町田支店の普通預金には該当する金額がなく、同支店の定期預金には対応する金額が存在するが、これらは別途に入金されたものであり、通帳も別になっており、本件遺言にいう普通預金と同一性のあるものとは評価できないというものである(≪証拠省略≫)。
3 当事者の主張
(一) 甲事件原告ら
(1) 本件預金一(五〇〇〇万円)及びこれに対する前記利息金四一万二〇五六円は、H江の死亡により、その法定相続人である甲事件原告三名及び乙事件原告D雄及び同E代の五名がその法定相続分に応じて分割取得した。
よって、甲事件原告らは、それぞれ甲事件被告に対し、右法定相続分に相当する一〇〇八万二四一一円及びこれに対する本訴状速達の翌日である平成九年一二月五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(2) 本件遺言は、「普通預金五四〇〇万円」と明示の上、その分割方法を指定しているものであるから、相続開始当時にH江が有していた本件預金一、二(定期預金)とは預金の種類及び金額が異なっていることは明らかであって、本件預金一、二を対象とするものとは解されない。
遺言の解釈が問題とされるのは、その記載内容から遺言の内容を一義的に明らかにできず、いくつかの解釈が成り立ち得る場合である。もし、存在しない財産を対象として遺言書が作成されたとしても、当該遺言書が方式を遵守し、その記載文言から内容が一義的に明らかな場合は、そのような内容の遺言として存在するに過ぎず、実効性がないからといって、現実に存在している他の相続財産についての遺言とみることはできない。
(二) 乙事件原告ら(甲事件補助参加人)
(1) 本件遺言は、本件預金一、二のうち五四〇〇万円を対象としてされたものと解すべきであるから、その内容に従い、乙事件被告に対し、乙事件原告D雄は一五〇〇万円、同E代は一二〇〇万円、同F郎は三〇〇万円の各支払を求める。
(2) H江が、相続開始時に被告銀行町田支店に有していた預金は、定期預金である本件三預金一、二(合計五五〇〇万円)及び前記普通預金であり、五四〇〇万円の普通預金は存在しなかった。
遺言には、相手方がないのであるから、遺言の解釈に当たっては、取引の安全を考慮する必要はなく、遺言書の全記載と遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況等を考慮して遺言者の真意を探究すべきである。
H江は、本件遺言をするに当たって、その文言を「定期預金」とすべきところを誤って「普通預金」としたものであって、H江の真意は、本件預金一、二のうち五四〇〇万円を前記本件遺言の記載どおりに乙事件原告らに相続させ、または遺贈するにあったことは、本件和解の経緯を含む当時の客観的状況からみて明白である。
(三) 被告
甲乙事件原告らの主張は、争う。
三 当裁判所の判断
1 事実関係の補充
証拠(≪証拠省略≫、甲事件原告丙谷C美、乙事件原告丁沢E代)及び弁論の全趣旨を総合すると、前記事実のほか、更に次の事実を認めることができる。
(一) H江及びJ平夫婦は、従来大阪市東住吉区のH江所有の敷地に自宅を構えていたが、乙川B子夫婦と同居することになり、自宅を売却の上、その代金の一部二〇〇〇万円を拠出して、堺市高倉台に前記乙川I作との共有住宅を建設することになった。
(二) その後完成した右共有住宅については、H江持分三分の一、I作持分三分の二と登記された。H江は、自己の持分が自己の支出した金額に照らし過少であるとして不満を持ち、結局、右共有住宅には一度も居住することなく、他の子の住居を転々としたり、賃貸マンションに居住していた。
(三) そして、H江は、I作を被告として、右共有建物のH江持分を三三五〇分の二〇〇〇に更正すべきことを求める訴訟を提起し(大阪地方裁判所堺支部平成二年(ワ)第四〇八号)、一審で勝訴したが、控訴審で話合いの結果、H江持分を一一〇〇万円でI作に譲渡し、B子に遺留分をH江の相続に関し遺留分を放棄させる趣旨の本件和解を成立させた。
(四) 本件預金一の五〇〇〇万円は、H江の旧自宅売却代金の残金であって、H江が、平成元年六月頃から、乙事件原告D雄に手紙を委託して、D雄の自宅に近い被告銀行町田支店に自由金利型定期預金として預金し、一か月の預金期間で書き換えてきた。また、本件預金二は、本件和解により乙川I作から支払われた持分譲渡代金の一部で、平成四年七月九日に前記総合通帳の普通預金口座に振り込まれた上、同月一四日に同通帳内の定期預金として預けられ、書き換えられてきたものである。また、前記普通預金は、H江がキャッシュカードを所持し、H江の日常の費用を賄うものとして利用されたものであり、また、定期預金の利息の受け入れ口座としても利用された。
(五) 被告銀行町田支店にある本件預金一、二及び普通預金がH江の遺産の殆どを占め、他の口座にあるものは、極めて僅かにしか過ぎなかった。
2 以上の事実関係に基づいて、本件の争点について判断する。
(一) 遺言の解釈に当たっては、それが要式行為であることを十分考慮しなければならないことは勿論であるが、遺言が遺言者の最終的意思を実現するものでることを考慮すれば、遺言書の当該条項の文言を形式的に判断するだけではなく、当該条項の遺言書の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況等を考慮して遺言者の真意を探究し、当該条項の趣旨を確定すべきものと解するのが相当である。
(二) これを本件についてみると、H江の相続開始時において、被告銀行町田支店の普通預金には、二一九万〇九八一円の残高しかなく、本件遺言にいう五四〇〇万円は存在しなかったのであるから、本件遺言を形式的にみれば、本件遺言内容の実現は不可能ということになろう。甲事件原告らの主張及び遺言執行者の見解はこれに沿うものである。
しかし、前記の事実関係を客観的にみれば、H江は、前記訴訟の経過からみて、甲事件原告B子に不信を抱き、同女にはH江の相続による利益を取得させないようにすることを目的として、本件遺言をしたことは明らかである。そして、H江は、前記普通預金のほか、被告銀行町田支店に五五〇〇万円の定期預金(本件預金一、二)を有していたのであり、これが実質的にはH江の全遺産であったことからみて、H江は、この五五〇〇万円の預金を、本件遺言によってB子以外の相続人らに分配することを意図したものであると推認できる。更にH江は、普通預金を含め本件預金の現実の管理を乙事件原告D雄に事実上委ねていた関係上(預金の形式を定期預金にしたのはD雄である。)、その形式が普通預金であるのか定期預金であるのかについては無関心であり、そのため、本件遺言をするに当たっては、誤って、漫然「普通預金」としたものと推認されるが、これを意識していたとすれば、「定期預金」と指示したであろうことは確実であると認められるのである。
そして、前記の見地に立って、このような状況において作成された本件遺言をみれば、本件遺言における「普通預金」という文言を絶対的なものとみることは、H江の真意に適うものではなく、むしろ、定期預金であるか否かを問わず、被告銀行町田支店においてH江の預金として存在した本件預金一及び二のうち五四〇〇万円を前記内容に沿って分配する趣旨の遺言とみることこそ、H江の真意に適合するものというべきである。
(三) そうすると、本件預金一は、本件遺言の記載に従ってその分配の対象とされた者が相当額を取得したものというべきであるから、これと異なり、本件遺言の効力を否定して、法定相続分に従った分割取得を主張する甲事件原告らの請求は、いずれも理由がないものというべきである(甲事件原告A夫及び同C美は、本件遺言内容に沿って相当金額を取得することができるのであるが、本訴において、そのような主張をしていない。)。
そして、本件遺言によると、乙事件原告D雄は、本件預金一から一五〇〇万円、同E代は、同じく一二〇〇万円を、各相続により取得したものであり、同F郎は、同じく三〇〇万円を遺贈によって取得したものであるから(被告銀行は、対抗要件の欠缺につき主張しない。)、被告に対しその支払を求める乙事件原告らの請求は、いずれも理由があるものというべきである。
四 以上の次第で、甲事件原告らの請求を棄却し、乙事件原告らの請求を認容することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 田中壯太)